2018年1月21日 (日)

新津機関区のC57180

最近はどこもうるさくなって夜間撮影などできるところが少なくなってしまった。

このC57180「ばんえつ物語号」もかつては新津に戻った後、点検風景を機関区の裏側から離れて撮影できたが今はどうなっているのか?もちろん当時でも、庫内へ立ち入るようなことはしてはならないのがマナー。長めのレンズで点検風景をのぞいた。

SLの写真は盛大に煙を吐いて走る姿も魅力的だが、こういうシーンも絵になる。大して煙の出ないJR東日本のSLも、できれば夜間撮影の機会を設けて欲しいものだ。
(写真、文:U)

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2018年1月20日 (土)

キハ81とDF50

蒸気機関車時代から何度も行った紀勢線。SLが廃止になってもDF50を撮りたくて和歌山の親戚の家をベースに年に2、3回は訪れた。

その中でどうしても撮っておきたかったのがDF50と唯一、紀勢線に残ったキハ81との絡み。これは自分にとって最重要課題だった。今回の写真は1977年のゴールデンウイークに尾鷲の駅で撮ったカットで、この2形式の車両が顔を合わせるシーンは当時のダイヤで見ると、まともに撮るにはここがベストだった。なにしろキハ81は日に数本設定があった「くろしお」の中でも、名古屋と天王寺を結ぶ最も走行距離の長い1D、2Dの天王寺側だけに充当されていたから撮影地が限られた。つまり1Dでは天王寺側の先頭だが2Dは最後部になる。後追い撮影せざるを得ない2Dだとディーゼルの排気煙が撮影者側に流れるからその煙で視界が遮られてしまう可能性もあり、なるべくならこちらに向かって来る1Dの方が無難。したがって名古屋からの1DがDF50の牽く同じ下り列車を追い抜く駅があれば理想的だが、列車の間にホームがあるなどしてスッキリした並びは困難。後追い撮影になるのを覚悟して2Dの尾鷲に賭けることにしたのだった(なお、左の「くろしお」は停車中には右の普通列車とは並ばず、名古屋に向け発車してからDF50と顔を揃える)。

結果は1勝1敗。2Dからの排気煙が立ちこめなかったのは無風だったからだろう。ただしこの日は下の写真のように左端に遅れか臨時の貨物列車を牽くDF50も停車していて、そこまで50ミリの画角に収まらなかったことが心残りとなった。今なら28~70ミリ程度のズームレンズで悠々、収めることはたやすいだろうし、脚立があればもっと上方から撮れてホーム左側の手すりもクリアできただろう。昔の写真を見ると今の機材があったらと思うことはしばしばだが、しかし40年もたつとそんな思いも懐かしい思い出となってしまう。

その後、この2形式の車両の絡みは一切、撮影していない。及第点はクリアしたと判断したからだ。

(写真、文:U)

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2018年1月18日 (木)

EF6620

単に「Before after」というだけの2枚。

昔、真鶴にEF5861を撮りに行ったときに偶然、やってきた特別塗装のEF6620(上)。趣味誌でこんな塗装のEF66が存在することは知っていたが、見たのはこのときただ1回だけ。EF66のうち何両かがこのように塗り替えられたと思い込んでいたが、1両だけだったようで、集まったファンが喜んでいたことを思い出す。この貨物列車が通過した後に61号機牽引の団体列車が来たが、そのときになって曇ってしまったことも印象に残っている。92年の早春のこと。

下は1977年、品川駅での撮影。ネガを見ていたらひさしのないEF66が写っていたのでスキャンしてみたら塗装変更前の20号機だった。品川~名古屋をEF58が重連で牽引する荷物35列車を撮りに行った際に見かけた。ひさしのないEF66は案外、少なかったように思い何枚か押さえた。総武快速がまだ横須賀線とつながっておらず品川止まりだった時期で、このホームは最も新幹線に近く、しかも新幹線側に電車が止まることもなかったからかぶることもなく貨物列車や荷物列車を撮るのに適していた。いつもバックに新幹線が通るタイミングを見計らってシャッターを切っていたが、おそらくこのときはすぐに汐留に向け発車したために、そうしたシーンを押さえることはできなかったのだろう。今、ここに新幹線のホームができていることも時代の流れを感じる。

(写真、文:U)
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2018年1月17日 (水)

183系タイプの特急3種

今さら気づいたことだが、国鉄時代の特急色をまとった183系や485系(貫通型)の電車も残りは中央線に残る189系のみとなってしまったとか。先日、たまたま撮影し、7日の記事にアップした写真の編成がそれだと聞いて驚いた。日本全国、あれほど至る所で見られた車両も風前の灯火。今さらながら世の中の移り変わりの早さにビックリしている。

最盛期がいつだったのか特定できる知識はないが、とにかくどこへ行っても当たり前に見られてウンザリしていた電車もいよいよ見納めのようで、ならばもう少し居座って新宿から客を乗せて河口湖に向かう「ホリデー快速富士山1号」を撮るべきだった。間抜けだからそんな事も知らず朝日に照らされた送り込みの回送列車だけ撮って意気揚々と引き揚げてしまったのは愚の骨頂ではないか。今さらながらそういった情報に疎い自分にあきれてしまう。恥ずかしい。調べてみたら今後もまだ走るようだから撮影するチャンスはあるものの、重い腰が上げるほどの魅力にはもう一歩。7日こそ絶好の機会だったのに惜しいことをした。

今回はそんな事もふまえてポジからスキャンした同系の写真を3種だけ掲載する。なにしろこれまで全く関心のない車両だったから詳しいデータは割愛して3枚をただただ並べてみる。国鉄色以外の写真もあるが取りあえず。

(写真、文:U)

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2018年1月16日 (火)

東海道線を下る61号機

福岡時代の写真はまだあるが、住んでいた92~95年はすでに電気機関車もED76とEF81だけになり、EF30やED72、73、74、75が活躍していた頃の面白みは薄らいでいた。だから撮影には行ってはいたものの、入れ込んで撮るような車両はなく、せっかく九州にいるのだからという義務感のようなものだけに動かされていたのかもしれない。なにしろ酒も美味いし魚を中心とした食べ物も最高!日中は毎日が二日酔いで、暗くなるとまた酒を飲む繰り返し。なにかのついででもなければ自ら線路際に立つ機会を作りようもなかった。

いずれまた当時の写真をアップするつもりだが、真っ赤な485系などをこのブログで見るのも不快なのでいつになるやら。その際はもっと昔のモノクロ写真と併せて掲載することになるだろう。

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国鉄からJRになってEF5861の人気はさらに上がったが、個人的には東京機関区が廃止され新鶴見、田端と転じた61号機への関心は低まってしまった。きっと仲間の方々もそうだと思うが、おかしなマークを付けてイベントものに担ぎ出されると不快なファンも多くそれがたまらなかったし、区名札差しに「新」とか「田」との札が入っていることに違和感があった。特に形式写真が撮れる機会などは「東」以外のものだとその印象が強く、正面方向以外から撮影することは滅多になくなっていく。さらに61号機の晩年(まだ車籍はあるのだから「晩年」という表現は違うかもしれないが)は国鉄時代の車体色がだんだんと派手になり、エンド標記のプレートなどまでが金色にされ、何だかかつてのスターが厚化粧されてしまったかのような悲哀すら感じた。

今回の写真は1988年11月に戸塚~保土ヶ谷で撮ったもの。12系の「やすらぎ」という団体用客車を牽いた際のカットで600ミリ使用。かつてブルートレインを撮っていて夕方の光線が気に入り、何度かチャレンジした写真。東海道線の客車列車は午前の上り、午後の下りが良い光を浴びるが、ヘッドマークなど無粋なものを付けずに61号機が夕方の下りに入るチャンスは少なかった。ここは本来なら真夏の17時前後の光が最も良いのだが、そんなチャンスはもう訪れなかった。ブログ開設時の再掲。

(写真、文:U)

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2018年1月14日 (日)

九州時代の写真⑤完

福岡在住時代の写真も今回でいったん終了。2枚目と4枚目はブログ開設当初にもアップしたもの。

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ED76のサザンクロス機を真横から撮った上の流し撮りは、この手の機関車を狙うときの義務のようなアングル。肥前山口で分割された「さくら」の佐世保行きを牽引する際に撮影したが、佐世保線内は思っていたよりも開けた場所がなく、バックは良くないが妥協した。
下は上り「みずほ」。田原坂付近での撮影。

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この写真はいつ撮影したか記憶に残っていないが、たまたま撮れたカット。この頃(1994年初夏だったと思う)は年に数本、熊本から大分方面に向け団体列車が走ることがあり、出張で阿蘇方面に行ったときに出くわした列車だったと記憶している。そうでもなければ、こんな列車をわざわざ撮影に行くはずはない。プッシュプルというのは、前後の機関車を画面に入れようとするとなかなか撮りににくい運転スタイルだが、DE10牽引の12系列車は久大線に現役だったのだから、前の機関車1両だけではさすがに面目なく、珍しくショートズームを使用した。有名な豊肥線・立野~赤水のスイッチバックを上がってきたシーン。

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厳密に言えばこの写真は福岡在住時のものではなく、95年6月に東京に戻った後、翌96年10月に福岡の飲み仲間に会いに行った旅行時に撮った画像。福岡時代はこれほど由布岳が見える好天に恵まれなかった。12系客車はすでになく、客車列車がなくなる直前、一時50系客車で運用されたと記憶しているが、事実誤認があるかもしれず、そうならばご指摘いただきたい。

(写真、文:U)

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2018年1月13日 (土)

九州時代の写真④

今回も九州時代の写真。

毎年、11月に佐賀県の唐津市で行われる祭り、「唐津くんち」では市内の宿泊施設が不足するために、補完策としてブルートレイン用の寝台客車を熊本から回送し「列車ホテル」として使用した。そのための回送が今回の写真(上の2枚)。牽引するのは熊本から豊肥線の水前寺まで、非電化区間に乗り入れる特急「有明」を牽いた専用色のDE10。

当時の485系特急色に合わせるべく施された塗装で物珍しさこそあれども、それにしてもここまでやる必要があったのか?DE10本来の塗装のままで「有明」を牽いて何ら問題はあるまい。熊本、あるいは水前寺からの乗客が特急と気づかずに乗ってしまうとも思えない。むしろヘッドマークでも付けた方がマシだったのではないかと感じたことを覚えている。

その後、485系はあの水戸岡某がデザインしたと言われる赤い色に「落書き」が入った車体色に変貌。牽引するDE10もこの1755号機中心の運用から一般色のDE10も頻度高く使われるようになっていった。

(写真、文:U)

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2018年1月12日 (金)

成田 初詣

今年の初撮りは例年通り成田空港でのんびりと。1月4日の日の出前からB滑走路に降りていく機体にシャッターを切った。

鉄道写真同様、撮影目的は「記録」であり、風景や情景などの芸術的要素には全く興味がないので、順光で機体全体がはっきり写りレジが読めればそれで良し。誰でも撮れる量産写真と言われようが没個性と言われようがお構いなし。所詮の趣味の世界なので自分だけが満足していればそれでOK。よくSNSなどで他の人の作品をなんだかんだコメントしているのを見ると逆に(コメントしている人のほうを)可哀そうだと感じてしまう。

その昔は単焦点レンズをマニュアルフォーカスで必死にピントを合わせ、ISO64のコダクロームフィルムで露出とシャッタースピードの組み合わせに苦労しながら36枚を1枚づつ丁寧に撮っていたことから比べれば、デジタルカメラの革新的な技術で、だれでも簡単に一定の写真が撮れてしまう今の時代、そんな意味からすればすべてが没個性的でもあると感じる。

そんな中、日の出前に現地入りしたら、満月チックな月とB787のコラボが撮れてしまった。自分的には全く惹かれることのないカットであるが、エンジンの排気が月光を揺らめかせているところがちょっと面白い、ただそれだけである。。。

(写真・文:K.M)

2018年1月4日 成田空港にて

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2018年1月10日 (水)

EF6477お召列車

比較的穏やかな年末年始が過ぎ、気づけばこの10日間で出勤は1日(1月5日)のみ。その間、撮影は成田空港に4日間行ったがまだ線路端には立っていない。

正月に日章旗を見ると本能的にお召列車を連想してしまう。国鉄時代の末期、1986年10月に「国鉄最後のお召列車」が運転された。山梨県での国体に伴う運転で、往路は10月11日(土)に原宿から甲府までだったが悪天候で雨の中の撮影になった。

復路は10月14日、ちょうど鉄道記念日に大月から原宿までの運転で、大崎を12:15に出た回9505列車で大月まで送り込まれて、14:58に大月を出て原宿着が16:27のダイヤ。10月とはいえ陽の落ちるのも早くなってきていたので山の影が心配であったが、ぎりぎり機関車側面には光線が当たって、なんとか中央線らしいカットを記録することが出来た。

***

U様 コメントありがとうございます。EF5861の窓から漏れる橙色の暖かい光には癒されます。。。

(写真・文:K.M)

1986年10月14日 EF6477+1号編成

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2018年1月 9日 (火)

九州時代の写真③

もう1回分、ED7678のカラー写真はスキャン済みなのだが、1枚は既出だし、もう1枚は真横からの流し撮り、そして何より3回も続けて同じ機関車の写真を出すのも芸がないから今回は筑豊線と久大線の客車列車の写真をアップしようと思う。

この時代、1994年になると全国各地からいよいよ客車列車がなくなって、九州でもブルートレインを除くと筑豊線と久大線くらいしか定期でその姿を見ることができなくなってきた。久大線は青い12系、筑豊線は赤い50系だったが、50系客車は1978年3月に全国に先がけて筑豊線に走った時に撮っているのも何かの因縁。最初と最後の時期に立ち会うことになったわけだ。

上の筑豊線の写真は筑前山家と筑前内野にある有名な冷水峠。蒸気機関車現役時代には重連や三重連なども走ってファンが多かったのは周知のこと。C55、D50、51、60が山越えに挑んだ峠で、DD51の時代になっても住んでいる福岡市内からもアクセスは良く、周囲に建物もない開けた場所だったから、ここを集中的に攻めた。
実はこの写真を撮った場所は高い金網が張り巡らされており、最初に行ったときは金網越しの撮影で思うような結果は得られなかったために、2度目以降の訪問では脚立を持参し金網の上から撮影した。自分にとって趣味の鉄道撮影に脚立を使ったのは初めての経験となる。

下の写真は久大線の天ヶ瀬と豊後中川の区間。ある日の夕暮れ、車で通りかかったら、なかなか良い光線がスポットライトのように列車を照らしていた。そのときは長いレンズを持ち合わせておらず撮ることができなかったが、その後、5回ほど通って撮ったカット。500ミリ使用。

いずれも目新しい写真ではないが、酒や遊びにかまけて鉄道撮影に熱心でなかった九州時代の数少ない写真になった。

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派手な発色はフジのベルビア。ISO100で使うのが一般的だったが、自分はもっぱら指定感度のISO50で使っていた。その方が彩度が高い気がしたためだが、実際に検証したことはない。

(写真、文:U)

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